SAからのお知らせ

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月刊グラン「SAだより」から

2012年6月号

 3月から5月までのJ1リーグの序盤の戦いに大きな影響を及ぼすのが、言うまでもなくACLです。その予選リーグは、基本的に東アジア内ではありますが、毎週開催されるJ1リーグの間にアウェイゲームも行われ、選手も、いや、スタッフも、いやいや、サポーターも大変です。しかも、J1リーグは、12月上旬まで34試合がありますが、ACLは予選リーグを突破できないと最短は5月までの6試合で終わってしまいます。繰り返しますが、3月、4月、5月のたった3ヵ月で、チームの二大目標の一方を失ってしまうかもしれないのです。その大切な3ヵ月の真ん中の月である4月にACLでは、天津泰達とホーム&アウェイで戦いました。まずは、4月3日に中国の天津で行われましたアウェイゲームです。このスタジアムでは、過去に川崎とG大阪が天津泰達と戦っていますが、少々荒いプレーやサポーター席からのレーザーポインター等の影響もあってか、ともに敗れています。私たち名古屋のサポーターも心して臨みました。試合開始から主導権を握り続けた名古屋は、前半24分に左のミドルエリアから藤本選手が見事なループシュートを決めました。その後もいつ追加点が入ってもおかしくない状況のまま、前半を1対0で折り返した後半4分に右サイドの永井選手からの逆クロスへのパスを玉田選手が胸で落として、左足を振り抜きました。これもまた、見事なミドルシュートが天津のゴールに突き刺さりました。ホームで負けるわけにはいかない天津も必死になって反撃を繰り返しますが、そんな相手ボールをケネディ選手が奪いました。藤本選手を経由したボールは前線に渡り、永井選手がきっちりとゴールを決めて3点目。どのゴールもすばらしい3対0の快勝です。この月刊グランはサポーターズマガジンなので、あえて少し触れますが、この試合のハーフタイムに天津のゴール裏から名古屋のサポーターに向けたレーザーポインターでの挑発行為があり、チームが3点目を取った直後には、天津のゴール裏とバックスタンドから20本ほどのペットボトルがピッチに投げ込まれました。そして、試合後には名古屋のサポーター席にも...。その後、私たちは、何十人もの警官に守られながらも、天津サポーターが退場するまで、スタジアムから出ることはできませんでした。また、お世話になった日本領事館の方々からは最後に緊急連絡先を受け取ったほど...久々のアウェイゲームでした。でも、今回、この完全アウェイの天津で名古屋は初勝利をあげたのです。そして、2週間後の18日にホーム瑞穂陸上競技場で再び、この天津と対戦しました。主導権は握っているのですが、引き気味の天津を崩すことができません。全体的に「う~ん...」と、言った感じのまま時間は過ぎ、0対0で試合は終了しました。これで、予選グループの首位から陥落してしまい、少々苦しくなりましたが、チームを信じて、選手を信じて、残り試合でリーグ戦突破を決めましょう!

さて、4月に入って、J1リーグでは、大宮、鳥栖、札幌と対戦しました。大雨の中、大宮戦では引き分けでしたが、鳥栖、札幌戦に連勝しました。過去のグランパスは、J2からの昇格チームとの相性があまり良くありませんが、今年は順調に勝ち点3を積み上げることができました。また、この札幌戦では、クラブとサポーターたちの初コラボレーションで、ある選手を盛り上げました。グランパスの前の所属が札幌の選手、そうです、言うまでもなくダニルソン選手です。ホームゲームで配られるマッチディプログラムの表紙で、試合前の練習時にスタジアムDJから本日のピックアッププレーヤーとしてダニルソン選手が紹介されると同時に名古屋のゴール裏から、黄、黒、赤の国旗に20の数字が浮かび上がりました。ダニルソン選手の出身国であるコロンビア国旗と背番号20をサポーターたちがマスゲームで飾ったのでした。
試合中にサポーターたちが唄うサポートソングですが、オフシーズンに、いや、シーズン中であっても変わることがあります。時々、SAの事務局にも質問があるのですが、すべてのサポートソングには、喜びや激励の意味があり、チームや個人に向けて、届けます。そのとき、そのときのサポーターたちの思いが込められているのです。最近で言えば、優勝直後の『俺たちの名古屋』ですね。「アーレー アーレー 俺たちの名古屋 誇りを胸にさらなる高みへ~♪」と、変わりました。ベテラン組に属しているサポーターのみなさんには、どこが変わったのかがわかりますよね?恐れるものが無くなって誇りを得たのです。そして、今シーズンから、ほんの一部だけ変わったサポートソングがあります。気づきましたか?それは、永井選手の唄です。昨年は、「永井 オーオオー お前のスピードで~」と唄われていましたが、今シーズンからは、変わりました。オリンピックと言う特別なイベントがある今年、そして、レギュラー定着のためにも大切な今年、永井選手が特に魅せるのは今だ!の思いを込めて、「永井 今こそ お前のスピードで 永井 今こそ 駆け抜けろゴールを」

さて、ここでお知らせがあります。今月からSAツアーの申し込み方法が変わりました。オフィシャルスポンサーのJTBから、アウェイ応援ツアーの相談を受け、打ち合わせました。そして、申し込み窓口等をSAツアーと一本化させることにしました。グランパスの公式ホームページやSAのホームページから、JTBの申し込みサイトに飛びますので、お気軽にお申し込みください。少々、申し込み条件や内容等が変わりますが、ご理解をいただき、みんなでアウェイでも選手と一緒に戦いましょう!

 


J1リーグでも、ACLでも、グランパスファミリーの力を見せましょう!!優勝します。

今年は勝獲[KACHITORU]一年なのです。

2012年5月号

  2012年シーズンが開幕しました。
今シーズンは予定通りの開幕です。しかし、昨年は予定通りにはいきませんでした。開幕直後にあの東日本大震災がおきてしまったからです。あれから、1年が経ちましたが、まだまだ苦労されている被災者の方々がたくさんみえます。その現実を忘れることなく、チャリティサッカーや義援金の募金活動の様に私たちにも出来ることを続けていきたいと改めて思います。サッカーファミリーのみなさんもJリーグやACLができることに感謝しながら、一緒にがんばりましょう!

 2012年シーズンが開幕しました。今シーズンもJリーグに先立って、まずACLが行われました。3月7日、城南一和をホームの瑞穂陸上競技場で迎え撃ちました。この城南一和は2010年にACLでも優勝しているACLの常連中の常連のチームです。当然ながら、予選のグループGでも最大のライバルだと思いますので、ホームで戦う第1節は非常に大切な試合でした。当日は、平日水曜日の、まだ肌寒い3月のナイターの試合であったため、入場者数は7000人ほどでしたが、名古屋のゴール裏だけは、この試合の重みを知っているサポーターたちで埋め尽くされました。試合は、パス回しも早い城南の攻撃に苦しみながらも、守備陣のがんばりとケネディ、金崎選手のゴールで終盤までは2対1でした。特に2点目の永井選手と金崎選手のコンビネーションで奪ったゴールは、2012年のベストゴールに早くもノミネートされる様な(笑)、気持ちの良いゴールでした。しかし、後半ロスタイムのラストプレーで、2012年のベストゴール失点編に早くもノミネートされる様な(苦笑)、失点をしてしまいました。ゴールを背にした選手のオーバーヘッドキックのセンターリングにゴールを背にした選手のオーバーヘッドキックでゴールを決められて、2対2の引き分けとなってしまいました。サッカー漫画の『キャプテン翼』にでも出てくるような信じられないゴールではありましたが、ただ、時間帯が最悪でした。そして、3日後の3月10日にJ1リーグの開幕戦として清水戦がトヨタスタジアムで行われました。清水と言えば、昨年の優勝を逃した要因のひとつで、アウェイの日本平で完敗した相手です。当然、負けるわけには、いきません。試合前の練習時にサポーターからこの試合で300試合出場となる中村選手にお祝いのメッセージが出されました。まさに300試合以上にわたって名古屋のために体を張り続けてくれているお礼のメッセージでもあります。

”魅せろ、いつまでも。LEGEND OF NAGOYA No.7”後日、中村選手からお礼を言われましたが、こちらこそ、ありがとうございます。中村直志選手のこれからのさらなる伝説に期待しています。そして、今年も開幕戦の選手入場時にゴール裏でマスゲームが行われました。今年は、一週間前のサポーターミーティングに多数決で決まったユニフォームのデザインでした。さて、舞台も、そして、役者もそろいました。王座奪還を誓った2012年のJリーグが始まりました。前半の32分に安部選手の突破から得たペナルティキックをケネディ選手が決めました。後半に入り、玉田、藤本、中村選手の3人がけがによる選手交代と言った緊急事態にも見舞われましたが、楢崎選手を中心とした守備陣が清水の攻撃をシャットアウト。1対0の完封勝利です。

Jリーグ第2節以降は、ACLもアウェイゲームが入ってきます。3月17日FC東京戦後、オーストラリアへ移動し、21日にセントラルコースト戦。そして、日本に戻って25日には新潟戦です。しかも、開幕戦前後に中村、藤本、小川、吉村選手の中盤のポジションでけが人が続きました。そのうえ、FC東京戦は2対3で負けてしまい、さらには不運なジャッジでダニルソン選手が退場し、中3日のACLセントラルコースト戦も追いつかれての引き分けでした。ますます苦しい状況に追い込まれてしまっての新潟戦でした。しかし、前半は風上を選んだ新潟の攻撃も、苦しいチーム状況の名古屋の悪い流れも、止めてしまったのが、頼りになるキャプテンの楢崎選手でした。開幕戦からも、いつもどおりのビックセーブの連発でしたが、苦しいときほど、その活躍が目立ちます。スーパープレーを続けた前半のロスタイムにもう一人の絶好調男こと金崎選手のゴールで主導権をとりました。後半に入り、玉田選手のセンタリングにケネディ選手がヘディングを決めて2対0。試合終了直前に不注意な失点をしてしまいましたが、2対1で勝ちました。連敗しない名古屋が、大きな大きな勝ち点3を獲りました。


さて、JリーグもACLも3月に開幕して1ヶ月が過ぎました。ACLのラウンド16の5月末までは、移動を含めた過密日程が続きます。しかも、昨年と同様にけがの選手が増え、少々苦しい前半戦となっています。こんなときこそ、若手選手の見せどころです。輝きどころです。そして、名古屋を愛するサポーターのみなさん、それぞれの想いをピッチの選手たちに届けましょう!
グランパスファミリーの力を見せましょう!!優勝します。今年は勝獲[KACHITORU]一年なのです。

2012年4月号

 今シーズンのグランパスは、昨年あと一歩で逃したJリーグの優勝と決勝トーナメントのラウンド16で負けてしまったACLの2冠を狙います。いや、狙うだけでなく、勝ち獲ります。無冠で終わった昨年とは違って、必ず勝たなければならない大切な年です。

昨年の名古屋グランパスは、リーグ戦では一年間で5敗しかしてません。でも、8敗の柏に追いつけませんでした。引き分けが5試合も多く、勝利が2試合も少なかったからです。だから、今シーズンは勝ちにこだわります。試合内容もさることながら、常に勝ち点を狙います。どの試合も勝ち獲ります。だから、サポーターたちはそんな想いを込めて、幕を作りました。今月からACLもリーグ戦も始まりましたので、スタジアムで実際にご覧になられた方も多いと思いますが、『勝獲』の幕です。素直な想いのままのこの二文字はすぐに決まったのですが、なかなかデザインが決まりませんでした。そんな中、コールリーダーから、「あの宮司さんに書いてもらおう!」と意見が出ました。あの宮司さんとは、名古屋市千種区にある丸山神明社の宮司さんです。この丸山神明社は、財界などでも有名な神社で、勝負事の神様がまつられており、ゴール裏の中心サポーターたちは毎年初詣に行ってます。(ここ数年はサポートソングも唄ってます。苦笑)チーム状態も成績も悪く、降格も考えざるを得ない状況になった2005年のシーズン中にコールリーダーの山本新吾がたまたま知ったのが、この丸山神明社でした。以降、毎年の初詣等で宮司さんにお世話になっています。今回は、その宮司さんにひと筆書いてもらおう!と言う話でした。2月のある日、言いだした山本新吾とSAの関谷、長谷川の三人で恐る恐る(笑)お願いに行ったところ、名古屋グランパスのためだからと快く引き受けてくださいました。年末に京都のお寺などで行われる「今年の漢字」の様な方法も考えましたが、仕掛けが大掛り過ぎますし、且つ、墨で書いてもらっても、雨天時に消えてしまいます。そこで、宮司さんには色紙に書いてもらって、それをサポーターたちが幕にしました。グランパスとの縁がきっかけで、多くの人たちの協力で出来あがった『勝獲』の幕は、さらに多くのサポーターたちの想いを込めて、一緒に戦います。そうです。一試合一試合の勝利を積み重ね、今年こそ優勝をこの手に勝ち獲るために。

 

少々懐かしい事を思い出していたら、開幕戦前に名古屋市の中心駅で、試合告知のビラ配りをしたことを思い出しました。「来週、Jリーグが開幕しますので、ぜひスタジアムにお越し下さい。」と案内しながら、試合紹介のビラを配りました。私は常に会話をしながら配っていたのですが、気になっていたことがあり、クラブには報告しました。それは、配布したのが3月上旬で、Jリーグの開幕一週間前だったのですが、翌週にJリーグが開幕することをほとんどの人が知りませんでした。Jリーグの開幕がいつからなのかが知られてなければ、スタジアムに来てもらえるわけ無いですよね。しかも、さらに驚いたことにJリーグの開幕を知らない人でも、ほとんどが3月下旬から始まる高校野球は、何日に開幕するのかを知っていたのです。本当に残念で、悔しかった思い出です。しかし、逆に告知効果が抜群で、嬉しかった思い出もあります。それは、昨年のお盆8月15日の出勤時の出来事でした。世間では休みなのに!と思いながら、ホームで地下鉄を待ってました。そこに到着したのは、グランパス列車でした。それは、8月1日から9月30日までの2ヶ月間、名古屋市の地下鉄の主要線である東山線と名城線で、それぞれ1車両ずつ走っていたのです。朝夕のラッシュ時はもちろんのこと、比較的空いている様な昼間でも各線で1車両ずつ、2ヶ月もの間走ったのです。このグランパス列車は、エキサイティングディーの一環として地下鉄をジャックしたもので、地下鉄とJR線で合計約3ヶ月の間、第1弾から第3弾までとしてデザイン等を変えながら、すべての車両内広告をグランパス一色にしたものでした。中刷り広告はもちろん、ドアや窓の上からつり革まで、すべての車内広告がグランパス関係なのです。試合スケジュールだけでなく、ピクシー監督をはじめ、楢崎選手、闘莉王選手はもちろん、全選手の紹介までありました。街中や会社内ででも、話題になっているのを何度も耳にしました。このグランパス列車の告知に首位争い存続のかかった大一番であったことが重なって、第29節のG大阪戦は早々と売り切れ完売となりました。ちなみにこの試合は、昨年のベストゲームとの呼び声も高い4対1の快勝で、スタジアムを埋め尽くした満員のサポーターたちも大満足の一戦でした。今年も満員の環境の中、こんなゲームをたくさん見たいですよね。ぜひ、みなさん、たくさんの友人を誘って、スタジアムに来てください。ホームゲームをたくさんのグランパスサポーターで埋め尽くしましょう。選手たちは必ず、応えてくれます。昨年だって、ホームゲームは17試合で、11勝5分け1敗と大きく勝ち越してくれましたよね。Jリーグを初優勝で飾ったのが、2010年。ピクシー監督はシーズン前に”10”のつく特別な年と言ってました。今シーズンのグランパスは、チーム創立20周年で、この節目の年が2012年です。”12”は、私たちサポーターにとって特別な年ですよね。だから、今年は名古屋のための特別な年にしちゃいましょう!

 

このSAだよりの最初にも宣言しましたが、もう一度言います。今シーズンは、勝利にこだわります。内容もさることながら、常に勝利を狙います。どの試合も勝ち獲ります。強く思い込んで下さい。そうです。グランパスファミリーみんなの想いを込めて、2012年は『勝獲(KACHITORU)』。

 

2012年3月号

2012年、元旦国立の天皇杯決勝進出の夢は叶いませんでしたが、名古屋グランパスに変わって年末年始に名古屋の、いや、愛知の多くのサッカー関係者に感動を与えたのが、第90回全国高校サッカー選手権大会の中京大中京高校です。特にグランパスサポーターたちは注目していたのではないでしょうか?そう、監督が、ミスターグランパスのオカこと岡山哲也監督なんです。監督1年目の昨年、夏の初め頃まで成績を残せなかったチームを合宿等で走りに走って作り直し、愛知県大会で優勝し、全国選手権に出場させました。私たちはTVのドキュメント等でしか知ることができませんが、大変な苦労があったと思います。監督の熱い想いに選手たちが応え、その選手たちがピッチで躍動していました。各地方のチャンピオンを破り、中京大中京高校の歴史を変えました。次は、愛知県高校サッカーの歴史を変えてください。選手権で敗れた後、岡山監督からもらったメールには、「この舞台でも感動を与えられるとは、更にやりがいを感じました。まだまだ、修行が必要です。」と書いてありました。また、感動させてください。がんばれ、岡山監督!!

先月号のSAだよりでもふれましたが、2011年の年末に開催されましたクラブワールドカップで見せたバルセロナのサッカーは、世界中を驚かせました。攻撃では、速くて正確なパス回しで相手を翻弄し、守備では、早くて組織的なプレッシングで、相手を追い詰めます。ゲームスコアもさることながら、ボールの支配率が異常なほどに高く、現在では、名実ともに世界一のサッカーと言えるでしょう。そのバルセロナのサッカーへの評価がFIFA(国際サッカー連盟)でも、認められました。そう、そのバルセロナの中心選手であるリオネル・メッシ選手が、2011年FIFA男子年間最優秀選手に選ばれました。この賞は、バロンドールとも呼ばれ、各チームの監督や選手、国際ジャーナリスト等の、言わば同業者が選ぶ、世界中のサッカー選手の憧れの賞です。当然ですが、一年に一人しか選ばれません。にもかかわらず、この賞をメッシ選手は、3年連続で獲得したのです。そして、監督部門として、同じバルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督が、FIFA男子年間最優秀監督賞に選ばれました。バルセロナは、クラブワールドカップで世界一になり、選手部門、監督部門でも世界一を達成したのです。そして、お待たせしました。トントントントン、さぁ来たよ♪~2700風(笑)。なんと、このメッシ選手とグアルディオラ監督が受賞した賞と同じ賞を女子サッカー界において、なでしこジャパンの澤選手と佐々木監督が受賞しました。先述のとおり、この賞はTV番組等の人気投票ではなく、世界中のサッカーの現場の人々から選ばれた、サッカー界では一番の栄誉ある賞です。なんと、選手部門も監督部門も日本が独占です。しかも、FIFA年間フェアプレー賞も日本サッカー協会が獲得し、世界規模の表彰でありながら、日本(女子)が独占したのです。澤選手、佐々木監督、そして、なでしこジャパンの選手、関係者のみなさん、本当におめでとうございます。そして、ありがとうございました。澤選手は、「日本人だからと言って不可能なことはないと証明できて、少しでも子供たちの目標になれたかなと思います。」と語ったそうですが、Jリーグの選手や監督たちも、当然、選ばれるチャンスがあるわけです。特に今年は、オリンピックイヤーでもありますので、日本代表の選手たちは、アピールする大チャンスです。また、グランパスの選手のみなさんもまずは、日本一、アジア一を目指してください。今年は、クラブワールドカップに出場し、注目を集めましょう。日本人男子だってバロンドールを目指しましょう。そう、選手部門では達成できませんでしたが、監督部門では、これからだよ、オカ!

では、最後に名古屋グランパスの2011年を振り返ってみましょう。今月号は、リーグ戦以外を振り返ります。ACLでは、ゼロックススーパーカップで鹿島を破った直後に中国に渡り、中2日の試合で杭州緑城に0対2で負けてしまいました。しかし、以降の試合では3勝1分けで勝ち越し、グループリーグの最終戦は、F組の首位でむかえました。結局は、F組2位でグループリーグを突破しましたが、水原三星に負けて、ベスト16でACL制覇は夢と消えました。このACLのグループリーグで3得点をあげた金崎選手が、けがで長期離脱してしまい、リーグ戦では無得点で終ってしまったのですから、痛かったですよね。ナビスコカップは、ACL出場のアドバンテージを受けて決勝トーナメントからの参加でしたが、真夏の過密日程の中、新潟戦、鹿島戦と連続で延長戦の死闘を繰り広げてくれました。結果がベスト4で終ってしまったのは、本当に残念で悔しくて仕方ありませんが、どの試合も選手たちの必死な気持ちが伝わってきました。そして、最後が天皇杯です。けが人等でメンバーが限られている中、Jリーグで優勝した柏をゴールキーパーを含めた10人のPK戦で破りました。また、準々決勝の横浜戦も同じくPK戦でしたが、元旦国立は夢となってしまいました。ただ、ナビスコカップも天皇杯もけが等で選手が限られている中、選手たちの気持ち”Never Give Up”が常に伝わった一年でした。

2011年シーズンは、勝点71ながら、最後は勝点1の差で優勝を逃しました。しかし、初優勝した2010年シーズンよりも連覇を逃した2011年シーズンの方が力強く、心強く感じていたのは、私だけではないと思います。春先のACLでの連戦時に、けが人が続出してしまっただけで、チームのパワーは、2011年には進化していたと思います。だから、今年は勝ちにこだわって、優勝にこだわります。リーグ戦やACLで優勝して、クラブワールドカップに出場します。今年は、勝ち獲ります。

2012年2月号

新年明けましておめでとうございます。
グランパスファミリーのみなさまにとって、必ず去年以上の一年になりますように心からお祈りいたします。

いきなりですが、毎年恒例になっております昨シーズンの振り返りから始めます。良かったところを伸ばし、悪かったところを改善し、新しいシーズンに生かして、栄光をつかむのです。さて、2010年にJリーグで初優勝した名古屋は、2月26日に国立競技場で天皇杯優勝の鹿島とゼロックススーパーカップで対戦しました。増川選手のゴールで先制も追いつかれてしまって、1対1のままPK戦になってしまいましたが、楢崎選手のスーパーセーブの連発で勝利しました。シーズンの初めに”今シーズンも楢崎正剛ここにあり!”を他のチームに強烈に印象付ける事が出来ました。翌週の3月5日Jリーグ開幕戦では、横浜のきびしいプレスに苦しみ、敗戦直前まで追いつめられました。しかし、この危機を救ってくれたのが、途中出場ながらJリーグデビュー戦となった大型新人、永井選手でした。彼の最大の武器である”快足”で、わかっていたはずの横浜ディフェンダーを抜き去り、獲得したPKで引き分け、勝ち点1を手にしました。
そして、翌週の第2節仙台戦の前日にあの大災害が起きてしまいました。そう、3月11日の東日本大震災です。グランパスの監督や選手たちが新幹線の中に閉じ込められたり、前日から仙台にいたサポーターたちもホテルから動けなくなりました。3月12日のJリーグと15日のACLが延期になったため、本来試合を行う予定だった15日にサポーターによる支援物資の回収を行いました。ただ、グランパスサポーターとして活動するため、迷惑にならないように注意深く対応しました。まず、被災地方各県の災害対策本部に連絡を取って、何を集めたら良いかから緊急車両の手続き等を指導いただきました。わずか7時間の回収活動でしたが、1500人近くの方々に参加いただき、約47,000本もの飲料を集める事が出来ました。ご参加いただいた方や集配や箱詰め等を何日も協力してくれたサポーターたちと一緒に本当に熱い『絆』を感じる事が出来ました。みなさまにご協力いただきました支援活動で、いろいろな方からも感謝のお言葉をいただきました。J2リーグ水戸の本間選手たちは、ブログやチームのオフィシャルホームページで紹介してくれました。でも、まだまだ、これからが大切です。今後もチャリティーサッカー等の活動を続けていく予定ですので、今後もご協力をお願いいたします。

さて、ページの都合もありますので、ACLとナビスコカップにつきましては、来月にさせていただきますが、2011年のJリーグを振り返りましょう。正直言って頭に浮かんでくるのは、アウェイ浦和戦、アウェイ甲府戦、ホーム仙台戦、アウェイ柏戦、アウェイ清水戦です。おわかりですか?そうです。去年のたった5敗の負け試合です。そして、その次には、ホームの大宮戦と浦和戦です。2週続けて、ホームでロスタイムに同点とされてしまい、手にすべき勝ち点6が勝ち点2になってしまいました。なんか、負けた試合ばかり思い出してるようですが、いやいや違います。例えば、ホームの鹿島戦やアウェイの川崎戦の様な逆転勝利や10月に入ってからは負けどころか引き分けさえも許されない状況での6連勝。残念ながら連覇はできませんでしたが、堂々の2位でした。J1リーグでは、勝ち点38以上で降格圏外、勝ち点70以上で優勝圏内と言われています。そう、一昨年までは、勝ち点を70以上あげて、優勝できなかったチームは無かったのです。名古屋が、ぶっちぎりで初優勝をしました一昨年でさえ勝ち点73で、優勝できなかった昨年は72でした。だから、胸を張っての準優勝です。終盤戦は、リードをされても負ける気がしませんでした。選手のみなさん、本当にありがとうございました。

リーグ戦が終了した12月中旬にSAツアーの申し込みメールが届きました。元旦国立こと天皇杯の決勝戦の分でした。まだ、3回戦しか終えておらず、当然、募集も開始していませんでしたが、元旦の国立ツアーが実現する様に選手もサポーターもひとつになって、がんばりました。その良い例が、21日(水)瑞穂陸上競技場で行われました柏との天皇杯4回戦です。ほぼ、主導権を握られて0対2の劣勢ながら、後半32分に飛び出した永井選手のスーパーミドルシュート!これで流れは変わりました。残り2分に増川選手のゴールで追い付き、延長戦へ。ともに1点を取り合って、3対3でPK戦なりました。5人ずつでは決着がつかずにゴールキーパーの楢崎選手までもが蹴った10人目で、決着がつきました。私たちの名古屋が柏を破りました。

リーグ戦では、勝ち点差1ながら優勝を逃したので、クラブワールドカップに出場することができませんでした。昨年のこの大会で世界中の注目を集めたのが、FCバルセロナです。私も準決勝、決勝と見に行くことができましたが、本当に凄かったです。準決勝はアジアチャンピオンのアルサッドを寄せ付けず、決勝では南米チャンピオンのサントスFCさえもパスを中心とした自分たちのスタイルを続けての完勝でした。ご覧になられた方も多いと思いますが、こんなにもすごい世界一のチームと名古屋グランパスの試合を見たくないですか?今年こそは、ACLで優勝し、クラブワールドカップにも出場しましょう!!そのために何ができるのか?何をしなければならないのか?このオフシーズンの間にみなさんも考えてみてください。そして、グランパスファミリーみんなの力をあわせて、今年は必ず優勝しましょう。そう、今年はタイトルにこだわります。

2012年1月号

 『今年もHOMEで多くの勝利に感謝!!』
ホーム最終戦後のセレモニーで場内一周している選手たちに、今日一番のグランパスコールとともに横断幕でサポーターからの感謝の気持ちが伝えられました。メッセージ性の強い一発幕と呼ばれる横断幕は、ほとんどがその当日に作られます。その時その時の、その試合その試合へのサポーター達の気持ちをストレートに表現します。最終節で優勝争いと言う状況ですから、例えば「あと一試合、死にもの狂いで戦おう!」と言った熱血体育会系のメッセージもあるかもしれませんが、この日のサポーター達は、このしびれるような優勝争いが出来る事の感謝を素直に選手たちに伝える事しか思いつきませんでした。
そう、それらの基本はすべて瑞穂陸上競技場とトヨタスタジアムの両ホームスタジアムでの勝利の積み重ねです。でも、待ってください...試合終了直前の後半ロスタイムに追いつかれた大宮戦もホームでした。しかも、その悪夢は翌週も続き、後半ロスタイムに浦和に追いつかれたのもホームでした。また、あと1勝でJリーグ記録と言う16試合連続不敗記録が止まった仙台戦もホームでした。あれ?ホームゲームは結構悲しい場面ばかりでは・・・?いやいや、6年振りに勝利した川崎戦はホームゲームでした。昨年、1勝も出来なかった鹿島にゼロックススーパーカップに続いて勝ったのもホームです。
そして、極めつけは、負けたら優勝が出来なくなる絶対絶命の状況で首位ガンバ大阪に4対1で快勝したのも、やはり、ホームでした。すべて、ホームゲームでの勝利のお陰です。ホームゲームでの勝利は勝ち点3以上のものをもたらしてくれるのです。このホームゲームでの最終戦後に最後の決戦の地となる新潟に選手を送り出すべく、試合後のセレモニーやランクル賞の表彰後も、300人ほどのサポーターが暗闇の中、選手たちのバスを待ちました。決戦までの1週間を有意義に過ごしてもらい、連覇のかかった2011年ラストゲームを楽しんでもらうための激励でした。当然、私たちグランパスファミリーも一緒に楽しませてもらいました。

さて、それでは連覇のかかった2011年シーズンの終盤戦を振り返りましょう。グランパスは1敗も出来なく、いやいや、引き分けすら出来ません。中盤や守備の選手たちは累積警告が3回の選手ばかりだったため、一枚のイエローカードももらえません。そんな危険な状況が最終節まで続くJリーグ戦第31節はホームのトヨタスタジアムでC大阪戦です。試合開始から主導権を握った名古屋ですが、なかなかシュートまで持ち込めません。そんな中、前半24分に目の覚める一発!”淳吾エリア”から、その左足で放たれたフリーキックはC大阪のゴールに吸い込まれました。しかし、喜びの10分後に追いつかれてしまいましたが、前半42分に小川選手のフリーキックから、待ってました!ケネディ選手のヘディングシュートが決まりました。2対1で折り返した後半も押しながらこうちゃく状態になり始めたところで、ピクシー監督は金崎、永井選手と攻撃的な二人を同時にピッチへ送り出しました。すると、後半31分、ケネディ選手のループ気味のパスに反応した金崎選手がシュート。ゴールキーパーがはじいたところにつめていた永井選手のゴールが決まりました。

ワールドカップの予選やオリンピックの予選の都合でリーグ戦も空いており、2週間後の16日(水)に天皇杯3回戦のギラヴァンツ北九州戦が瑞穂陸上競技場で行われました。2週間も試合が無かったのに3日後には最後の大一番となる横浜戦が行われるため、名古屋は若手中心のメンバーでこの天皇杯に挑みました。14日間も試合が無かったのにこの天皇杯3回戦の直後に優勝争いや降格争いもしている各チームが大切な試合を控えていたため、J1の複数のチームが敗れてしまいました。しかし、私たちの名古屋は1対0で乗り切りました。しかも、このリーグ戦の日程が空いた間に怪我の中村・ダニルソン選手が戻ってきて、久しぶりのベストメンバーで19日の横浜戦を迎えます。台風以上と感じた強風と豪雨の中、相手ゴール前で小川選手と藤本選手の見事なワンツーが決まり、フリーになった小川選手がゴールを決めました。この1点を久しぶりのベストメンバーの名古屋が守り抜いていました。後半26分、名古屋のゴール前でフリーキックを与えてしまいました。楢崎選手の前でディフェンスの選手たちが壁を作っていた時に横浜の中村俊介選手が蹴ってしまいました。その蹴りこんだゴールが認められ、なんと同点となってしまいました。同点も許されず、勝つしかない名古屋は、必死な猛攻モードに入りました。こんなにもお粗末だったプレーで、こんなにもスッキリしないフリーキックで、連覇を目指した2011年のシーズンが、終わってしまうなんてあり得ません。当然、ゴール裏の名古屋サポーターたちも必死です。このグランパスファミリーの熱い想いが強風と豪雨にも負けず、そして、試合にも負けません。残り5分ほどとなったところで、小川選手からのフリーキックを増川選手が折り返し、ケネディ選手が頭で決めてくれました。このファミリーは本当に凄い!やはり、選ばれた名古屋は強い!負けるわけがありません!!もう一度、言います。既に名古屋は選ばれていたのです。翌週、山形に3対0で快勝し、このSAだよりで最初に述べました様にホーム最終戦のセレモニー時に『今年もHOMEで多くの勝利に感謝!!』の横断幕と選手バスを激励で送り出しました。そんな、ファミリーの期待に選手たちはこたえてくれ、名古屋グランパス初の連覇を達成してくれたのです。絶体絶命の大ピンチを何度も乗り越え続けた名古屋は優勝を手にしただけでなく、もっと大きなものを手にした気がします。選手、クラブ関係者をはじめ、サポーターのみなさん、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。さぁ、次のステージです。待ってろ、世界!!